「かがやき」で富山へ
まだ暑さ残る9月の東京駅,プラットホームに滑り込む北陸新幹線かがやき。
流線形の車体が朝日を浴びて輝いています。
いよいよ富山への旅が始まります。
長旅に備えてホームでお茶を買うと,旅は身軽のほうがよいという教訓で娘に借りた20ℓ程のリュックサックを背負い,10号車に乗り込みます。
窓際の席に座り,最近また読み始めた小説をひらくといつの間にか列車は走り出していました。都会のビル群を蛇行しながら抜けると列車はスピードを上げ,風景を追うのがつらくなってきたので,目を小説に戻します。
中国の歴史小説は多くの作家さんが手掛けていますが,それぞれに描写が異なり趣向が凝らされて,そこに人それぞれの生き様も描かれているので,時代設定や描く人物が同じでも異なった感性が発揮されます。
碓井トンネルを抜けて軽井沢を通過したのは記憶の隅にありますが,列車は時刻通り長野を発車していました。このあたりから糸魚川までは左側の車窓にときどき立山連峰をとらえながらほとんどは隧道の闇の中をひた走ります。
都会の喧騒とともに闇は遠のき,糸魚川の町並みは朝日に照らされています。ここからは日本海の荒波と神々しい立山連峰に挟まれた牧歌的な風景がつづきます。
朝いつもの活動を開始する時間には富山駅に到着していました。
路面電車(トラム)で北前船の豪商の家へ
荷物を富山駅構内のコインロッカーに預けて軽く朝食をとると,駅構内の1F部分を縦に貫く富山地方鉄道のホームに向かいます。コンコースを歩いていると途中に線路横断のための人用の信号機があり,信号機が赤になると路面電車が左右に横切ります。左右にはそれぞれプラットホームがあり,左右のプラットホームを利用して路面電車が不規則に到着・出発を繰返しています。
見ていると頻繁にコンコースの人の流れが遮断され,またコンコースからプラットフォームを介して電車に乗り込む流れがある一方で,電車から降りた乗客がせわしなくコンコースに吸い込まれていく姿を見ると,活力のある交通手段であることが想像できます。
少し戸惑いながら目当ての電車を見つけて,終点の岩瀬浜に向かいます。富山駅周辺では道路の真ん中を走る路面電車なので車と同じ信号機に従って車に気を使っているようですが,途中から専用軌道に入ると走行に支障するものはなくなるので,どこか活き活きとした走りになります。
富山駅から離れるに従って,徐々に身軽になりながら爆走した電車は,どこか懐かしさを感じさせる駅舎に終着します。
岩瀬浜から15分程ちいさな港町を歩くと,歴史ある木造の家が軒を連ねる通りに出ます。
「北前船」はまだ現代のような交通が未発達で,大量輸送手段が無かったころ,帆船を用いた物流(日本国内の港をめぐり,ある港の積荷を次の港でおろし,そこで積んだものをその次の港でおろすように,常に空舟にしないことで利を最大限にひき出す)を示し,それで一攫千金に成功した豪商が住居兼商いに使った家屋がこの岩瀬浜ちかくに軒を連ねています。
”北”(北海道)で積んだ鰊を”前”(越前)に運び,帰りに越前でとれた蟹や鰤を北海道に運んだ帆船を「北前船」だと思っていた・・・などと富山駅に戻る路面電車で考えているうちにいつしか浅い眠りに誘われていました。
(つづく)