富山ぼっち旅 その7(高岡編)

旅行

旅の終わりに

旅の最後はいつもどこか寂しい気持ちが先行して,楽しめないことが多い。「この旅は最後まで楽しんでやろう。」そう思った。

早朝にホテルをチェックアウトすると,まだ人影のない道を氷見漁港に向かった。

川に架かった橋を渡る。この川には後1km程度流れて海にそそぐ間に大小5本の橋がかかっており,海から3本目の橋の上から海側を見ると,2本先の橋のむこう側が急に明るく開けて何もないように見えるので不思議な感覚におそわれる。

橋の真ん中で左右を見渡すと,海側には護岸工事が施されて水門のようなものが見えるが,内陸側を見ると川の両側まで木々が迫って人の手が加わった形跡が見当たらず,手つかずの自然を感じさせる。

この川に沿うように海側に歩いていくと,氷見漁港に突き当たる。

魚市場食堂は一昨日とは異なり,漁港は静寂の中にあった。2階にあがると,今日は魚の競りはなくどこか虚ろな空間が広がっている。食堂入り口の白熱電球の淡いあかりが落ち着いた雰囲気を醸しだしている。

窓際の席からは漁港の静けさがうかがえ,沖に長くのびた堤防のつけ根あたりでは釣り竿をだす人影もみとめられる。お刺身定食と漁師汁でお腹を満たすと,氷見駅に向かった。

氷見駅のプラットホームには,すでに高岡行の列車を待つ列ができていた。1号車の連結部分に近い窓際あたりに立っていると始発駅の停車時間の間に学生たちが押し寄せ,ストーブを囲む通路の角辺りまで押し込まれた。数名の女子生徒が「友達が来ない。」と言ってドアから身を乗りだすように改札口の方を見ていたが,発車寸前に駅横の自転車置き場から3号車に駆け込む友達の姿が見えたようである。

発車後に数駅は学生たちが乗ってきたが,その先の駅で半数以上の学生が降車していった。高岡駅に着くと,プラットホームには階段を上って改札口に向かう長い列ができていた。列車をゆっくりと降りて改札からコンコースに出ると,人の流れとは逆の南側に向かった。

高岡,富山の探索

高岡駅から北陸新幹線の新高岡駅に向かって真っすぐ500mほど進んだところを直角に交差する参道がある。参道は片道1車線の道路の真ん中にあって左右どちら側にも長く伸びているようである。右側に進むと,道路わきには駐車場や土産物店などがならび,さらにすすむと参道の端に国宝 瑞龍寺の門が見えてくる。

瑞龍寺は加賀藩2代目当主 前田利長公をとむらうために建立され,先ほど通った参道は,瑞龍寺の門からまっすぐに八丁(約870m)ほど前田利長公の墓所まで伸びており,八丁道(はっちょうみち)と呼ばれるとのこと。瑞龍寺には東司の守護神(トイレの神様)烏瑟沙摩明王が祀られている。

あいの風とやま鉄道であっという間に富山駅に戻ると,3日前に利用したコインロッカーに荷物を預けて少し早めの昼食をとることにした。

富山駅ビルにある食事処でいろいろ迷ったあげく,またここに来てしまった。今度は大盛りにしてみたが,やはり美味しい。

富山駅ビルで目当てのお土産を買ったが,どうしても1つ求めていたものが無い。富山市の西方に呉羽という地があるが,そこが梨の産地になっているらしい。高岡駅のコンコースに併設するお土産物コーナーで呉羽梨を見かけて,そのみずみずしさと重さを感じて是非帰りに買って帰りたいと思っていたが,今朝はすでに売り切れていた。

その呉羽梨を最中にした「くれは製菓の梨最中」をお土産にしたいと強く思っていた。富山駅のすべてのお土産物店を探すも,”梨最中”はあるのだが”くれは製菓”のものがない。店員さんに尋ねてみたが,「あの店舗のあのコーナーにあるはず・・・」と聞いて探すも見当たらない。

いろいろ調べると,富山市の西方にくれは製菓の本店があり,そこに行けば買えるかもしれないことが分かった。帰りの新幹線の発車時間まであと1時間30分,路面電車で行くと終点の富山大学からさらに距離がありそうである。バス停を確認すると,どうやらそこまで行けるバスがまもなく来るようだ。

来たバスにとにかく乗ってしまった。バスは路面電車の環状線に並行して走り,さらにその環状線から西に分岐して富山大学に至る支線にも並走した。”富山野球場”は読売巨人軍が年に1回主催する地方球場での公式戦が行われるところで,ジャイアンツが好きな祖父と昔テレビで見ていたが,球場が狭いためにホームランが出やすい印象がある。

富山野球場と富山大学を過ぎて2kmほど走っただろうか,目指すバス停でバスを降りた。「くれは製菓」さんは,バス停より少し戻った十字路を右にすこしくだったところにあった。まちなかにある昔ながらの和菓子屋らしいたたずまいで,店主に伺うとバラでも買えるとのことなので,梨最中とこんぶおはぎを買った。

店の前の道を先ほどの十字路を越えてまっすぐに歩いたところに,呉羽駅があった。こじんまりとした木造の駅舎で,富山駅方面のプラットホームは階段をあがった向こう側にあった。本線と待避線があるところをみると,国鉄時代にはおそらくこの駅は優等列車の通過駅だったのであろう。

プラットホームの中央の待合所には前後に引戸があり木目調の長椅子とガラス窓を備え,真冬の厳しい季節でも積雪の影響で遅れている列車の到着を待てるつくりになっている。この時期は引戸が全開されているためちょっとした避暑になる。駅の北側は荒地のところどころに民家などが見える。その先の北陸新幹線の高架に,高岡駅方面からの列車が通過していった。

鳥のさえずりが聞こえるのどかな駅のプラットホームに,列車の接近を報せる案内放送がかかった。

それほど待たずに東京行きの”はくたか”は富山駅のプラットホームに到着した。最終日に旅の感傷に浸る間もなく列車の座席に着くと,昨日であった脳科学者の書いた本を開いた。

(おわり)

 

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